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December 28, 2004

【あなたのほうが楽しんでいる、ジャラジャラ鳴らす、拍手する】

<起>
最も見ていて苦しいお笑い番組といえば、 『エンタの神様』(日本テレビ土曜22時)だろう。 芸人のネタが悪いというわけではない。いちいちテロップがつくことが問題なのだ。

だって、基本的には皆、しゃべり芸ですよ (ま、滑舌が極端に悪い人もたまにいる)。 皆しゃべりを磨いて舞台に上がっているわけです。

なのにオチまですべてテロップで文字化するって、熊さん八つぁん……。 しかも、CMまたぎで芸が分断されたりするんだ、ご隠居さん……。

本やCD売るならそれもいいけど、 芸を磨くことに寄与するのかは「?」である。

とか文句言いつつ、やっぱり見てたりするわけで・・・。

<承>
爆笑問題は著書『こんな世界に誰がした』(幻冬舎04年=奥付)のあとがき(太田光執筆)で、胸中を吐露している。

「この『日本原論』シリーズも何冊目になったのか、数え切れない。世の中で起こる物事を片っ端から笑いのネタにしてきた。何が起きても笑い続けてきた。だが最近、ふと気づくと笑い続けることに疲れている自分がいる。イラク戦争や、北朝鮮の問題で、笑おうとすることは、正直疲れる。我々はいつまで笑い続けなければいけないのだろうと思うと、途方もないような気がする。/漫才のネタはつきることがない。後から後から事件は起こり続ける。そんな途切れなく起こり続ける“悲劇”を、“喜劇”につくりかえることが我々の運命だと思っている」(p203)

使命でなく、運命と書かざるをえないところに、苦い感情があらわれている。
一段落おいて、こう続く。

「いつの間にか、我々は戦争の中にいる。遠い名前も知らない国の戦争だった知らない間に自分たちの戦争になっている。戦争の中でいつまで我々は笑い続けることができるのだろうか。/こんな時代にコメディアンとして存在しているということに、恍惚と不安がある」

笑いを仕事にすることは、 ちょっと想像するだけでも大変だと思う。
若い人もベテランも、がんばれ芸人さん!

<転>
自転車で派手に転倒した。当日は書評原稿の締切日で、痛む手でパソコンのキーを叩きながらそれを書いた。書評対象の本(こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社刊)は、広島の原爆投下10年後を若い女性を主人公に描くもので、彼女はたくさんの友人や近親縁者を亡くしたあの8月6日に囚われ、今・1955年の平和(本当に小さな平和であって、たとえば憎からず思っている人に好意を寄せられる、といったもの)を享受することをどうしても拒んでしまう。
心までを蝕まれる、遅効性の爆弾!
書いているうちに身体中が痛んで熱まで出てきたせいもあってか、私にとっては珍しいことに、書評の一部を作中の女性に語りかけるように書いてしまった。
「過去の不幸の絶対値以上に、これから幸福になってはいけないなんて、誰も決めてはいないのだ」。

書かずもがなですが……
この言い方に倣えば、ささやかな幸せに水を差すような悪口芸だっていい、人間の業を大いに肯定してもいい、私が芸人に期待するのは、客が抱えているものの絶対値以上の芸や語りで、舞台や高座から「客の現在」をひっくり返してみせてほしい、ということだ。


って、日々だらだらマンガ読んで暮らしてる俺なんかに期待されたくはないよなぁ。

<結>
以前書いた『唄えば天国ジャズソング』の評で、同書から一箇所こんな引用をしていた。

「男の芸人というものは、スーパースターのように大きく情感を発揚するか、パリの芸人やフレッド・アステアのように、情感の芸でありながら禁欲性を感じさせるほどに完全を演じなければならない」

「情感の芸でありながら禁欲性」は、松本人志にあったもので、今の若手お笑い芸人だと、友近がもっている、ような気がする(友近は女の芸人)。

ただ、芸で人気が出ると、いつのまにかバラエティ番組に担ぎ出されてなんだかよく分からない変装をしていたりする。露出が増えるのは売り出しとして大歓迎なのだろうが、見る側としては全露出時間に対して芸を味わう時間が減っているので、このあたりは芸人さんもジレンマのあるところじゃなかろうか。

自分は芸のない人間なので、芸や芸人について書くのは緊張する。何か気のきいたことの一つも言えればよいのだが。
ステージでのジョン・レノンの発言「安い席の方に申し上げます。この曲が終わったら、盛大な拍手を! (ロイヤルボックスに向かって)その他の方々は、宝石をジャラジャラ鳴らしてください」みたいなのを……。

ま、無理なんで、 拍手のネタの引用で締めよう。

上記の『唄えば~』評は昨年の『文藝別冊 総特集 色川武大VS阿佐田哲也』に寄せたものですが、同書から色川自身の文章を紹介します。
ラスト一行、これがエスプリ。

「しかし何を観ても、飛び抜けたごくわずかの一級品を除いて、客席にいる自分がなんだか充たされないものがある。映画も、芝居も、ショーも、小説も、詩も、観ているよりは自分で作った方が結局は充たされる。苦しくとも楽しい。これは映画館や劇場の設備がどれほど快適になろうと変わらないだろう。
 近頃の観客の不幸は、観客より演者が楽しいということを悟りつつあることだろう。観客のこの空しさを演者側は慰めてくれない。フィナーレでの拍手は、客の劣等感を慰めるために、演者側から観客に贈られてしかるべきではないか。」(『文學界』一九八九・一、文藝春秋)


おしまい。

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